ライター 阿部真麩美

昨年9月、福島県福島市で新たに猫神社が発見されました。
神様は猫である シマシマやブチ… 姿描いた絵馬93枚 福島市東部「猫神社」新たに確認 /福島 [毎日新聞]
有料記事なのでかいつまんでご紹介すると、個人宅裏にある木製の祠のような建物に「猫神社」と書かれた「棟札(むなふだ)」と93枚もの「猫絵馬」が確認されたそう。
棟札によると創建は江戸時代末期の1821年。
その頃一般に普及してきた養蚕業では、カイコや繭を食い荒らすネズミは天敵のため、退治する猫は「守り神」として祀られました。
当時、この地域では猫が描かれた絵馬を一枚借受け、繭が豊作なら二枚にして奉納する「倍返し」の風習があったことから、この小さな「猫神社」にも多くの猫絵馬が残ったのではないかと考えられています。
研究者は、「現代になって、創建が明確な猫神社が見つかることは滅多にない」と話し、地域信仰の解明につながると期待しているそうです。

新年早々、猫が神様として祀られる話は気分がいいでしょ。
まだまだ隠れた猫神社、見つかるかもしれませんし。
それにしても、日本人は神様を祀るのが好きですよね。
神道の「八百万の神」の基本は、人間はもちろん動物、植物、山や川などの自然界のあらゆるものに神が宿るという思想で、感謝の気持ちを伝えるために神として祀るだけでなく、菅原道真や平将門のような凄まじい恨みを放つ怨霊を神にして崇めることで怒りを沈め、逆に守り神にするなんてこともします。
さらに、長い年月を経た道具にまで「付喪神(つくもがみ)」という神(もしくは精霊)が宿るという思想もありますね。
また、例えばカエルを神使にしている神社には「無事かえる」「取り替える」や、鳥の鷽(うそ)にかけて前年にあった厄災を嘘にする「鷽替え(うそかえ)神事」が行われるなど、ご利益がダジャレから発生しているものも多く見られます。
頭髪が行方不明だと京都の御髪(みかみ)神社に、脂肪に居座られている人は三重県の保曽井(ほそい)神社にと、祈願する場所もダジャレ。
そして、私が一番感心したのが、京都の仙洞御所に祀られていた「柿本人麿(かきのもとひとまろ)神社」です。
ももちろんダジャレご利益があるのですが、なんだと思いますか?

答えは、火災防止。
「火気の元、火止まろ」とフルネームで火事を防いでくれます。
防火における最強ネームだと感動しながらも、「こんなにダジャレだらけで、いいのか日本の神様」と、なんか脱力感。
こうした宗教に関する「ゆるさ」は、あくまでも私見ですが、仏教という外来宗教を取り入れた約1500年前から始まったのではないでしょうか。
そう思ったのは、10年ほど前に東京国立博物館で開催された「国宝 大神社展」で「神が出家する図」の絵馬を見て、「なんで神様が仏門に入るの?」と衝撃を受けたことがきかっけです。
現代の私が驚くのですから、当時の人々の混乱は計り知れません。
どうやら、どちらを尊べば良いのかを迷う人々を落ち着かせるためにそうした絵馬が描かれたようで、日本書紀にも「天皇は仏法を信じ、神道を尊びたもう」と記載されています。
民衆の柔軟さにも驚きです。
信じてきた神が他の宗教に帰依したのに、その神を捨てずに一緒に帰依していくのですから。
諸外国では、国教を変えると前の宗教は徹底して破壊されるそうで、そうならないことこそ、多神教で培われた日本的なゆるさという気がします。
それでいて、一つの部屋に神棚と仏壇を祀る場合は、仏壇は正座する高さに、神棚は見上げる位置にと、神を上に置くところが、ゆるさの中にも譲れない線は守る感じがして、これも日本的。

こうした文化で生きてきた日本民族だから、アイドルの「推し」やある分野での達人に対して気軽に「神」とか「尊い」という言葉を使うのは、当然の流れなのかもしれません。
ですので、おたくの猫さんがたとえネズミを捕らなくても、一緒にいるだけで幸せな気持ちにしてくれるのなら、神として祀られる資格は十分にあるのです。
カリカリーナに鎮座する猫神様に、新年の開運をお願いしておきましょう。
ということで、今年もよろしくお願いいたしますニャ。
