ライター 阿部真麩美

先日、京都大数理解析研究所の柏原正樹特任教授が「数学のノーベル賞」と言われるアーベル賞を受賞しました。
アーベル賞とはノーベル賞が数学分野を対象としていないことから、ノルウェー政府が2002年に創設したもので、日本人の受賞は初めて。
昨年は科学分野での日本人のノーベル賞受賞者がいなかったので、よろこびもひとしおです。
私はイグノーベル賞を始め、ノーベル賞、ウルフ賞、フィールズ賞などの理系の受賞チェックが大好き。
それは理数系、特に数学に対してコンプレックスがあるからです。
その理由は、高校で数学の赤点をとった姉のために、母が呼び出されたことに由来します。
担任の先生から「ちゃんと勉強しないと落第しますよ」との脅しに対し、「うちの娘は数学はできなくても、買物に行かせてお釣りを間違えたことはありません。それどころか、愛嬌があるからオマケまでもらってきます。落第なんてしたら、縁談にも差し支えるじゃないですか!」と逆ギレした母。
今なら、モンスターペアレントですね。
その言葉もあってか、姉は無事に進級。
この一連の出来事で、高校に入った途端に難しくなった数学に対し、自分もお釣りを間違えなければ良いのだ、と子ども心に判断し、数学の勉強をやめてしまいました。
もちろん社会に出てから、数学が育成する「論理的思考」が苦手なことに気づき、「後悔先に立たず」を実感したのです。
さてさて、「文学者と猫」は、愛にあふれた関係がイメージしやすいのですが、「科学者と猫」だと、一筋縄ではいかない気がしませんか。
それはやはり、猫が実験に使われている状況に疑問がつきまとうからです。
有名なのが、「シュレティンガーの猫」ですね。
実験内容は私には説明できないので調べていただくとして、毒ガスの箱に猫を入れるという発想がひどい。
また、紫外線の研究の先駆者、アメリカの物理学者ロバート・ウィリアムズ・ウッドは、実験に必要な下水管を掃除するために猫を入れて一方を塞ぎ、仕方なく反対側から出てこさせることで猫をモップ代わりにしたというし、「吾輩は猫である」に登場する水島寒月のモデルとしても知られている物理学者の寺田寅彦は、紐で猫を吊るす実験を随筆で紹介しています。
エジソンに至っては、猫(だけじゃなくて犬も)を感電させていたというじゃありませんか。
どの人も、猫が嫌いだからそうした訳ではない、という点に科学の無情さを感じます。
科学者の名誉のために、良いお話も。
日本人2人目のノーベル賞受賞者、朝永振一郎は、猫と散歩する姿が銅像になっているほどの猫好きだし、「不思議な国のアリス」に怪しさとユーモアに溢れたチェシャ猫を登場させたのは、数学者のルイス・キャロル。
私の愛読書「まる ありがとう」は解剖学者の養老孟司著です。
極めつけが、家のドアに取り付ける猫用のドア「キャットフラップ」を発明したニュートンでしょうか。
文系理系に関わらず、猫好きなら「ありがとう」と言いたくなる発明品です。
そして、カリカリーナだって科学的見地に基づいた「にゃん工学」を生かして作られているんですよ。
横だけじゃなく縦にもつけたカーブや背もたれの穴は、天才物理学者の発明にも引けを取らない!と猫さんたちは思ってくれているはず。
いや、思っていてほしいニャ〜。